GPS SPEED CHALLENGE

スピードチャレンジ-2010

目的は一つ。GPS日本スピード新記録を目指す。

 

安谷と石丸で2年前から始めた企画だ。

 

世界中のスピードゲレンデを探していた時に、台湾に理想の場所がある事がわかった。台湾本島の西50キロのところにある、隆起珊瑚の島、ポンフー島。台湾の人達にとっては、日本における沖縄の様な存在の島だ。

 

さて、300キロの荷物を担いで、島に降り立った僕らを待っていたのは、凄まじい強風だった。風速計が、16m以上を指し示している。「いやあ、よく吹くよ、ここは」と言われて、これまで各地のゲレンデでセーリングをしてきた。しかし、どちらかというと、肩を落とした記憶の方が多い。

ところが、ポンフーは違った。

 

 

11月のウインドグル(taiwan,pengpengbeat)を見てみるがいい。風向は北北東の一点バリ。風の無い日は2日。10m以上は13日、15m以上は14日。「今日は風が弱いから休日だ」と決めた日に、試しに出てみたら、6,6でフルプレーニングしていた。

ポンフーには、セーリングセンターという公の施設がある。市が、ウインドサーファーの為に、3階建の立派な建物を造り、艇庫もあり、勿論シャワー諸々完備だ。今回は、ポンフー在住のウインドサーファーがボランティアで,送り迎えはじめ、様々な援助をしてくれた。中でも、ピザ屋を経営しているカリン(女性)が通訳まで担当してくれ、すべてを取り仕切ってくれた。

 

まず、2日間、チンロウというオフショアビーチで、強風トレーニングを決行する。15mオーバーで、10キロの重りを背負い、極小ボードでのウオーターと下りの練習だ。

 

今回特注したボードは、その名を「MOO」モーといい、牛の可愛い顔がイラストされている。ところが、この顔に騙されてはいけない。牛の皮をかぶったチーターなのだ。巾42センチ。フィンは、最小22センチまで用意した。セールはリバティセールの4,1〜6,0まで、セブンとスラローム12枚。 

 

 

さて、4日目、目的地ポンポンビーチに渡る。

 

チャーター船で20分の行程。写真でしか見たことのない半月型の砂州が見えて来た。その一番端っこに、船先を座礁させる。荷物を放るようにして降ろす。船は逃げるように去ってゆく。

 

 

 

 

「置き去りにされた」

 

つい口に出してみた。そんな気持ちにさせられるほど、異様な光景だ。砂の丘が、1km以上に渡って続いている。砂と海水と風しかない世界がそこにある。

 

 

 

我々は、置き去りにされた場所から、風上に500m、荷物を台車で運び前進基地をつくる。風はやや落ちて、北北東10m。まずは、5,3セールに、巾50pABプラスボード、26センチフィンで出廷。

 

上に1キロほど登った辺りから、アビームで砂州を目指し、岸から、5mほど離れたラインを下ってみる。40度の下りだ。岸近くは、フラットをキープしている。砂州の海抜が、20センチにも満たない為、ノンガスティオフショアーのライディングだ。

 

<63、44>。

 

1回目流した記録としては、まあまあ。2回目、更に岸よりを責める。

 

<64、67>。

 

この日は、トレースラインの確認作業で一日が終わる。

 

 

朝飯は<ザオテン>という台湾式モーニングサービスの店で食べる。通訳なしで乗り込むと、とんだ苦労も背負い込む。4人で4つのパオズ(肉まん)を頼もうとするのだが、コレが通じない。幼少の頃から、マージャンを覚え、1〜9までの数字が言える石丸が通訳をかって出た。「パオズ、スー」「15個ね」「いえいえ、スー」「15個ね」あとで解ったのだが、4も10もカタカナ表記ではスーなのだ。そのスーに力を込めて力説したが為、私の言葉は「スーウー!」と発音していたのだ。つまり「15」。なんやかや、台湾料理は、日本人に良く合う。あまりに旨いので食べ過ぎ、日に日にスピードチャレンジ用の重量を獲得してゆく。

 

6日目、再びポンポンビーチに渡る。風は11〜13mで安定している。5,3にモーの出番だ。フィン24センチ、重り8キロでトライ。海面はフラットだが、500m下る間に、3本のうねりがやってくる。超えるのかかわすのか、決断のタイミングが合わないと、岸に激突の可能性がある。

 

<66,72>

 

これまでの自己記録(今年本栖湖)を越えた。フィンサイズを22センチに落とす。

風上に1キロ登ってゆく。22センチのフィンでも上れる事実に感動する。モーのストレートロッカーが長いのだろうか?いよいよ波打ち際1〜2mを責める。水深は30センチあるかないか。

 

<67,95>

 

着実に数字が上っていくのが面白い。ここで、単なるオーバーセールをさらにプッシュする。セブン5,9にチェンジ。スタートと同時に、風音がゴーゴーから、キーンと金属音に変化する。300m下った辺りで、フィンが小さくカリっとヒットする。

 

<69,34>。

 

進化している。次が時間的にこの日最後のチャレンジとなった。

 

重りを10キロに増量。最風上で、うねりを見極めながらタイミングをはかり、ウオータースタート。アビームでは、ボードごと舞いあがりそうになるのを腰を落としてこらえる。岸から、5mに近づいたところで、ストンと40度の角度で落とす。この瞬間にビビると、高速の岸激突シーンを見せるハメになる。うねりの谷間を走る。岸が微妙にカーブしているので、トレースしていく。そして、最後の左カーブに入ったところで、更に角度を落とした。その途端、音が急に静かになった。

 

「風を追い越したのか?風の隙間に入ったのか?」

 

ささやかな静寂のあと、再び爆音が戻ってきた。岸に戻ってくるなり、仲間とGPSを確認する。

 

<70,16>

 

ついに70キロを超えた。あとでパソコンで軌跡を確認すると、音が消えた瞬間の場所だと知れた。

 

 

 

 

 

8日目、最終日。早朝7時にビーチに渡る。しかし、渡し船が波間を飛び跳ねている。風速がすでに18mを超えている。上陸するや、前進基地に道具を運ぶ。4,1と4,6のセッティングにかかる。この頃から、石砂が飛び始めた。痛い。全員ゴーグルにヘルメット、顔面にタオルを巻きつける。セールが一人で張れない。3人がかりでのリグ組みだ。試しに顔面大の石を空に投げたら、風下にすっとんでいった。

 

風速計をかざす。<23m>。まずは、4,1で出廷。完全オフショアー、干潮だというのに、波が立っている。爆裂している。波しぶきが噴水のように舞いあがり、ある意味美しくもある。この波をスラロームボードでは登れないので、3人で、1キロ風上へ陸路を運ぶ事にした。この行為がいかに大変かは、やった事のある方なら、わかってくれるだろう。

 

さて、腰の深さからのウオーターなのだが、覆いかぶさる波が押し寄せる。アビームがとれないので、いきなりど下りのスタートだ。「これは、ドラッグレースか!」などと叫んでいたら、ウオーターした途端、それは現実となった。いきなりのトップスピード。うねりのセイで、波打ち際が、3mほど左右に動いている。余裕をもってトレースしているつもりが、カリっと底に触る感触がある。ええいままよ!22センチフィンを信じて、台湾料理の増量と10キロの重りで、突きぬける。しかし、やはり、20mを超える風には、それなりの牙がある。大きなうねりを超えた途端、天と地がひっくり返った。


スピンアウト!時速70キロ近いスピンアウトには破壊力がある。今回同行してくれた整形外科医の大畠先生は、湿布薬は勿論のこと、切ったハッタの道具も忍ばせている。

強風の中、有りがたい言葉もかけて頂いた。「内臓だけ守って下さい。あとはなんとかしますから」。海面に顔を出すと、駆け寄ってきた仲間に指示をおくる。

 

「セールサイズを上げよう」。

 

オーバーセールを克服する時は、さらにオーバーにするのが、石丸の教えである(信じないように)。4,6スラロームの出番。潮が入り始め、風も波のサイズもあがる。完全なウエーブコンディション。この4,6は1時間ほど前、3つ括り付けてあった砂袋を引きちぎり、空に舞い上がって、我々に臨時ライフセーバーの訓練をさせたツワモノである。そいつにボードを付属させただけで海の上を走る事が出来るなんて、ウインドサーフィンって、凄いネ。さて、4,6でトライを重ねるも、うねりに勝てない。「あなたはスピンアウトしますか?岸に激突しますか?」と問われているのに近い。こういう時は、居直るのが正解。「両方やってやる!」しかして、最終チャレンジ。ドンと走り出したモーは、20m超の追い風を受け、数百mを駆け抜けた。

 

<69,87>

 

終わった。収穫はあった。このビーチにおける、潮と風のタイミングが理解出来た。

 

よし、目指すは2012年秋だ。

 

乞うご期待!自費参加してくれて、懸命なサポートをしてくれた滝田、仲平、大畠さん、ありがとう。

 

 

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